2012年8月1日〜15日
8月1日 ライアン 〔犬・未出〕

 あづい。
 アフリカの夏はあづい。バテバテだ。

 家から一歩も出たくない。しかし、家にいても退屈なのでCFに出ていくしかない。

 タクはいいやつだが、しゃべって楽しい相手ではないのがこまる。

 フィル戦でボロ負けして弱った時は、やつのやさしさが身にしみた。
 が、平時となると――。

 彼の口数の少なさ、表情の乏しさ、従順さに、どうしても単調さ、退屈を感じてしまう。すべておいて受身なのも、面倒くさい。退屈だ。

 おれには新しい友だちが必要だ。生活のハリになるような楽しいやつが。
 

8月2日 ライアン 〔犬・未出〕

「もうバスくるよ」

 タクが呼んだが、おれはぐずぐずして彼を先に行かせた。

(いつもふたりで行動してちゃ、誰も寄ってこれないからな)

 一本、バスをずらすと、果たして金髪のかわいい子が乗っていた。スカート穿かせたら、そのまま美少女が出来上がりそうなキレイなやつだ。

「おはよう」

 隣に座っておどろいた。そいつにはまるい胸があった。

(女?)

 彼は迷惑そうに言った。

「シリコンだよ。旦那の趣味。珍しくもないだろ?」

 おれは無作法をあやまった。

「新入りなんだ。いろいろ教えてくれ」


8月3日 ライアン 〔犬・未出〕

 やつは男だ。胸はニセモノだ。

 それはわかっていたが、半年以上女性を目にしていないおれには、ミス・ユニバースにしか見えなかった。十代に戻ったように、目が胸に吸いついて離れない。

「おい」

 彼は迷惑そうに言った。

「何考えてるかわかるけど、おれに触ったら、うしろのデカイのがあんたをデコボコにするから気をつけな」

 おれはいちおう目を後ろにやり、ハッとしてもう一度見た。後ろの座席の乗客たちが全員ひとつアタマでかい。
 みな、おれをじっと見ていた


8月4日 ライアン 〔犬・未出〕

 プールで泳いでいる間もずっと頭のなかでは、あのおっぱいが躍っていた。

 バカげた欲望だ。風船やクッションと同じ代物だというのに。

 だが、遺伝子に組み込まれた衝動というのはどうしようもない。ここに来るまで、おれはストレートだった。順応しつつはあるが、女のほうがいい! 断然いい! 

(いや、やつだって男だ。股にはおれと同じものがぶらさがってる)

 そう言い聞かせても、脳がかっさらわれたように言うこときかなかった。おれはあの男に、というか、あの胸に恋をした。


8月5日 ライアン 〔犬・未出〕

「ピノ、かな?」

 タクは意外にもおっぱいの君のことを知っていた。

「でかい仲間連れている?」

「そう、それ!」

 おれは聞いた。

「何してたやつだ? 誰か親しいやつはいるのか」

 タクは鈍い目で宙を見つめた。

「よく知らない。ただ、ピノの仲間はみんな剣闘士だってのは聞いたことある」

「ボディガードか」

「そんな感じ」

 どうやら主人は相当嫉妬深い男らしい。しかし、男子たるもの、それぐらいでバストへの意欲は揺らがない。なんとかお近づきになるテはないものか。

「彼、陶芸クラスにいるよ」


8月6日 ライアン 〔犬・未出〕

 おれはあっさり陶芸クラスをとった。
 
 ピノは、いた。
 ロングの金髪をポニーテールにして、ろくろの前にかがんでいた。
 かわいらしい。女の子そのものだ。

「やあ」

 そばにいくと、すげなく言われた。

「お断り。帰りな」

「あれ? 何か勘違いしてない? キミみたいなうぬぼれ屋のプードル、どうにかしようと思ってないぜ?」

「むこう行けよ」

「おれに指図するなよ。骨なしチキン。ボディガードがいないと、ひとと口を利くのもブルっちゃうガキのくせに」


8月7日 ライアン 〔犬・未出〕

 お高い美人を攻略するには、ホメ言葉は使わない。ちやほやされ慣れている人間に媚びても、なめられるだけ。

 それよりガツンとこっちが、おまえなどおよびもつかぬ重要人物なのだと教えてやる。

 そして、美人以外の気のいい女の子たちに親切にする。皆を楽しませる。
 あせる美人。必死におれの気を引こうとする美人。

 気恥ずかしいぐらいの定石だが、おれはいつもこれで勝利してきた。そして、今回、陶芸クラスでもそれを開始した


8月8日 ライアン 〔犬・未出〕

 さいわい、陶芸クラスにはタクがいる。タクに教わりつつ、ほかの連中にも愛想をふりまく。うるさがる奴もいたが、クラスの後、中庭でそいつらとも仲良くなった。

 エロにとり憑かれた男を止める術はない。おっぱいに触るためなら、おれはCIAを出し抜くことさえできる! 

 ピノはおれを無視しつづけたが、気にしているのはわかった。そして、ついにボディガードのひとりがおれにささやいた。

「にいちゃん、おまえはここに出てくるな。おうちでテレビでも見てな。目玉があるうちに」


8月9日 ライアン 〔犬・未出〕
 
 正直、2メートル近い男の脅しは気味悪かったが、おれは怖いと思う前にヨロコビをかみ締めていた。ピノが反応したのだ。

(いざ、収穫だ)

 翌日、バスのなかで、おれは彼の隣に座った。何も言わなかった。だが、おりる間際に彼にメッセージカードを渡した。

 ――2時に中庭で待つ。

 もし、ボディガードを引き連れてきたら、このゲームはおわり。さようなら、おっぱい。だが、ひとりできたら、おれの勝ちだ。

 はたして二時。ピノはひとりで来た。


8月10日 ライアン 〔犬・未出〕

 ピノはテーブルにつき、無愛想におれを見た。

「なに?」

「飲み物でも頼んだら?」

 おれはボーイを呼び止めた。ピノが不機嫌にアイスコーヒーを頼む。

「で?」

「昨日、お仲間に恫喝されたんだけど」

「……」

「あんた、とりなしてくんない?」

「そら、むずかしいな。おれもやつらと同じ意見だ」

「なぜさ。キミになんの迷惑もかけてないのに」

「気に食わないってだけで十分な理由だ」

「時に、キミ、ご主人憎んでるの?」

 青い目が見返した。

「関係ないだろ」

「いや、キミの作った皿がそんな感じだから」


8月11日 ライアン 〔犬・未出〕

 でまかせである。
 ただ陶芸ってのは性格が出ると聞いたことがある。

「きみの作った皿はキレイなんだが、怖いんだ。なにか怨念がこもってる。でも、きみはそれをよくないものだと承知している。抑えようとがんばっていて、無理に押し殺している感じがしてさ」

 ピノは答えなかった。黙って、アイスコーヒーのグラスを見ていた。

 やがて、その顎がふるえた。
 おれはあわてたふりをして、ごめん、と言った。

「すまん。立ち入ったこと言った。悪かった。もうクラスで、はしゃがないようにするよ」


8月12日 ライアン 〔犬・未出〕

 ピノは落ちた。
 彼はおれに敵愾心を見せなくなり、おれが声をかけると答えるようになった。おれはさらに彼を昼食に誘い、打ち解けた。

「旦那はホモになりたくないんだ」

 ピノは言った。

「自分を犯しているのが女だと思いたいんだ」

「え? きみがトップなのかい?」

「旦那が相手の時はね」

 彼は肩をすくめた。

「自分を犯させた後、おれをあいつらに犯らせるのさ。どういう欲望なんだかよくわからないよ」

 おれは同情した。

「痛めつけられるのか?」

「もう慣れた」

 青い目がさびしく笑った。


8月13日 ライアン 〔犬・未出〕

 ピノは容姿の通り、女性的なところがあった。チェス仲間の坊やたちとは違い、なかなか体を開かない。

 おれは中庭で彼の話を聞き、「身を任せて安心なやつ」を演じ続けた。

 しかし、邪魔が入る。タクが勝手にテーブルにやってきて、いっしょに飯を食おうとする。ほかの連中まで連れてくる。気がきかないことこのうえない。

 やつにしてみれば無邪気にしていることだが、おっぱいまであと数インチというところにいるおれには、タクが行く手を阻む中ボスに見える。

 もしや、わざとか?


8月14日 ライアン 〔犬・未出〕

 おれはタクの襲撃を避けるため、デートの場所をドッグマーケットに移した。ピノも素直についてきた。

「きみの親衛隊のほうも招待すべきだったかな」

「いいよ。あいつらもホントはでかいやつ同士でつるみたいんだ」

 ピノは本当に可愛かった。顔が小さく、鼻梁が細く、やや陰のある青いタレ目が美しい。黙っていると、憂い顔の美少女といった風情だ。

 だが、当人はこれがコンプレックスらしい。

「筋肉つけて、髭生やして、ワイルドな男になろうとしてたのに、ここで元に戻されちまった」


8月15日 ライアン 〔犬・未出〕

 ホルモンを打たれ、CFでも筋力トレーニングは制限されているらしい。

「腹を六つに割ったら、もっとでかい胸つけるって。これ以上バケモノにされたらたまんないよ」

 しょんぼりするピノの肩を叩いてやった。

「おまえがバケモノなら、おれだって同じだ。だって、もうオカマだもん」

 ピノはおれを見て微笑んだ。目が潤んでいた。

 憂い顔の美少女が笑うと、なんて美しいのだろう。美少女じゃない。ヤロウだ、と思っても、ドキドキする。
 こいつの騎士になってやるぜ、と思ってしまう。


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